充実的一日と虚無的一日に関する考察

日々過ぎていく日常は同じようで少しづつ違いますね。

同じような一日でも今日は充実していたなあとか今日は無駄に過ごしたなあとか。

 

人生は長いようで短いと思うのでできるだけ満足できない日というのは無くして生きていきたいというのが最近の僕のトレンド。

 

充実感のある日と虚無感のある日の違いでも考えてみることにしました。この文章を書いている時間が無駄であり、虚無感の温床ではないかという心の片隅にある考えは無視していく方針で。

 充実した一日ってなんだろう?

人によって違うと思うんですけど、僕の場合は能動的に活動した日は満足感の高い日になることが多いですね~

能動的な活動というのは自分で「~をする。」と決めて実行することです。

具体的な活動としては読書、軽い運動、勉強、外出etcですかね。どの活動においても他人に強要されたり、テストのためにやらなければならないといった義務感の下でやっていないことが条件です。

そして読書であれば読んだ本が面白かったこと、外出であれば外出先で楽しいと感じることができたことなど活動の内容も関わってきますね。

特にゲームをした日はゲームの内容が顕著にその日の満足感に影響しますね。

 

 

虚無感を感じる日とはその反対となるはず。つまり他人に強要された活動で一日が終わってしまう日となるでしょう。

あとは義務感で何か活動をしたとき。ソシャゲにありがちです。最初は楽しむために、時間をつぶすためにゲームをしていたのに、いつのまにか義務感からゲームをする、ゲームをすること自体が目的になることがよくあるんですよ。義務感からソシャゲをして一日が終わった時の絶望はただ流れているテレビを漠然と眺めていた時の絶望と同じくらいですね。

 

虚無感のあふれる一日となる原因は受動的な活動をした時だけではないのです。能動的な活動っぽいことをしたときも起こりうる危険性を孕んでいるのですよ。

特にネットサーフィン、睡眠、オ〇ニーに一日を浪費した時の夜の絶望は計り知れないですね。賢者タイムの影響なんて(多分)関係ないくらいの絶望です。

今思ったんですけど、睡眠、オ〇ニーは欲望に支配された行動と考えるとこの辺りは能動的な活動ではないのかもしれないですね… 義務感がもたらす強制された行動に近いのかもしれない。

ネットサーフィンはあまり有益な情報を得られないことが多い気がするのがよくないですね。

Twitterも2~3時間に1回見るのは問題ないのですが、2分に1回見るような状況になると虚無感に原因になりますね。

 

今回の分析から得られる結論はいかに能動的に活動できる人間になるか、自分でやりたいことを見つけて実行に移せるかということですね。

そして受動的な行動を減らす。何かやらなければならないことがあればできるだけ早く終わらせる。

充実-虚無>0になるような一日を積み重ねることが人生の満足感に大きなプラスをもたらすはず。

なので、やりたいことをどんどん見つけてやっていきます。やりたいことが見つからなかったら、やりたいことが見つかるまで適当に生きるか、死ぬかですね。

やりたくない仕事などは迅速かつ正確に処理する有能人間になるか、やりたくない仕事が回ってこない無能人間になることで自分のやりたいことの時間を確保していきたいところですね。