ワークライフバランス至上主義

ワークライフバランスの裁きを。

ヤバいという表現を使わないようにしないとヤバいね

ヤバいとかすごいとか広い意味を表す便利な言葉がたくさんありますよね。

それらの言葉は汎用性があるという非常に便利な点を持っているために僕は日常生活でよく使っています。

しかし、それらの汎用性の高い言葉に頼ってしまうと語彙力が鍛えられないので、普段と違う言葉遣いが求められるときに、ヤバいと思いながらヤバいしか使えないという悲劇的な状況に追い込まれてしまうのではないかなと最近思ったわけです。

 特にヤバいという言葉は文脈次第で様々な意味を表すことができる魔法の言葉ですよね。

精神が高揚するくらい嬉しいと感じたときにも使えますし、困った、大変だと絶望を感じたときにも使えますよね。文脈次第ではポジティブな表現でもあり、ネガティブな表現でもあるわけです。

 

「それヤバいね~」と言っておけば言葉の解釈は相手に委ねられるわけで、自分の意見を発することなくその場を乗り切ることができるわけです。

とにかくヤバいという言葉はヤバいですよ。

 

ヤバいに代表される文脈次第で広い意味を表す言葉に頼りすぎると状況によって適切な言葉を選択する能力が減り、いつもヤバいしか言ってないヤバい人間になってしまうわけですよ。とりあえずヤバいと言っておけばなんとかなるから。

 

ヤバいを普段から多用するのは良くないと考えているわけですが、僕自身は日常会話で豊富な語彙力を必要とする場面は少ないと思います。頭が良いと思われたい、溢れる語彙力でマウントを取りたいなどの特殊な事情があるなら別ですけどね。

 

僕は日常会話で「こいつ頭いいな」「やりますねえ」と思われたいわけではないので、日常会話でヤバいを積極的に使ってしまいます。楽なので。

会話に限らず友人とのメールやLINEなどの日常会話に近い簡単な文章を書く時にもヤバいなどの言葉を積極的に使ってしまいます。便利なので。

 

ヤバいの多用は日常生活では大きな問題の要因になることはないと思います。しかし、日常的ではない場面で言葉を使う場面で問題になってきます。

フォーマルな会話の場面、フォーマルな文章を書く必要がある場面です。

目上の人との会話や初対面の人との会話、就職活動の面接や商談などのビジネスの場面でヤバいのような口語的表現を使うことはあまり好ましくないはずです。

 

学生の間はあまりかしこまった場面での会話する経験は少ないと思います。僕の場合、会話をする機会というのは友人や家族、バイト先など日常的な会話で乗り切れるレベルで生きているので、実際にフォーマルな会話を求められる場面でその状況にふさわしくない日常会話的な表現が出てきてしまうというのが少なくとも僕のコミュニケーション能力なわけですよ。

適切な場面で適切な言葉遣いをすることができることもコミュニケーション能力で必要なことだと思うので、今の状況は決して好ましくないですね。

文章表現についてだとレポートでそれなりにフォーマルな文章を書く機会があったので、フォーマルな会話よりもましな表現をすることができるのかなと思いますが、実際に文章を書いてみるとうまい表現というものが見つからないことも少なくありません。

 

レポートの場合、文字制限のために書くことがないという特殊な事情もあるので単純に語彙力の問題だけがレポートのクオリティに影響を与えているわけではありません。

 

 

また、ヤバいのような表現の多用は外国語を取得するときに悪影響をもたらすのではないかなと思います。

例えば英語でヤバいという単語はあるのでしょうか?

おそらく日本語のヤバいと完全に対応する単語はないと思います。

普段から頭がヤバいに支配されていると英語などの他の言語を話そうとするときに適切な表現を用意する力が弱く、適切な表現をすぐに使うことができない。その結果として話すことが苦手となってしまうのではないでしょうか。

 

ヤバいのような表現を多用はそれらの使用が不適切な場面で自分の言葉の引き出しを減らしていくということになります。

 

この問題の解決法として、普段の会話から多くの表現を使い、アウトプットするように心がける。

会話に限らず、安易な表現にたよらないしっかりとした文章を書く。

 

口語的表現が多用されている文章ではなく、それなりに文語的な表現が用いられている文章や本を読むことで自分の知らない言葉に触れてみることを通して、自分の語彙力を高めていく必要があるのではないかなと思います。

そのような日々の地道な努力こそがヤバいに頼らない表現ができるようになり、適切な場面で適切な言葉遣いができるようになり、コミュニケーション能力を伸ばすにつながるのではないかなと思います。